こんにちは、「岡山食道園」三代目マネージャーの池田直子です。
私たちが大好きなこの岡山の街で、
昭和、平成、そして令和の「今」へと繋いできた70年の歴史。
そして、三代目として暖簾(のれん)を背負う私の想いを、
少しずつ物語のようにつづっていきたいと思います。
第一話の今日は、私たちが産声をあげた「あの頃の岡山の街」のお話です。
■ はじまりは、映画の熱気に包まれた「千日前商店街」から
私たちの原点は、今「ハレノワ(岡山芸術創造劇場)」がある場所――。
かつての「千日前商店街」にあります。

2代目父 若かりし頃
昭和25年の創業当時、
千日前商店街は空前の「映画ブーム」の真ん中にありました。
映画館が立ち並び、
街は右を向いても左を向いても「人、人、人!」で溢れ返っていたそうです。
そんな活気あふれる時代の熱気の中で、岡山食道園は産声をあげました。
実は、オープン当時のお品書き(メニュー)は、今とは全く違っていました。
今でこそ「カルビ」や「ハラミ」という名前が当たり前ですが、
当時はなんと、
お肉の名前をドイツ語のカタカナ表記で出していたそうです!
医学書などがドイツ語だった時代、
お肉の部位をモダンに表現しようとした先代のこだわりだったのかもしれません。常連のお客様もドクターが多かったとか
なるほど、今は電子カルテですが、昔のカルテはドイツ語でしたね。
今でも私たちが当たり前に使っている「タン(Zunge)」という言葉に、
当時のモダンな名残がひっそりと息づいています。
■日限の お地蔵さんで賑わっていた旧細堀町へ。
受け継がれる「ホルモン焼き」と、おもてなしの心

その後、お店は旧細堀町(現・表町)へと場所を移します。
その時代から、私たちの代名詞である「ホルモン焼き」や、
お肉と白いご飯を豪快に楽しむスタイルが定着していきました。
そしてもう一つ、
当時としてはとても珍しい「おもてなし」をしていました。
お肉とご飯をご注文いただいたお客様に、
お店からのサービスとして「温かいスープ」をお出ししていたのです。
「お腹いっぱいになって、幸せな気持ちで帰ってほしい」
そんな先代の小さなおもてなしの心が、
70年経った今でも、
私たちの店に流れる「お客様を家族のように迎える」という
空気のベースになっています。
もちろんそのサービスは今も続いています。
■ 三代目の私が、今思うこと
映画館の裏手から始まり、
岡山の街の移り変わりをずっと見守り続けてきた食道園の暖簾。
今、
私たちの原点である場所に「ハレノワ」という新しい文化の拠点ができ、
時代がまた大きく動こうとしています。
映画の街から、舞台の街へ。
時代が変わっても、私たちが一皿に込める情熱と、お客様をお迎えする心は何も変わりません。
「やっぱり、ここが一番。」
そう言っていただける場所であり続けるために、
三代目の私が今、
どんな挑戦をしているのか――。それはまた、次のお話で。



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